世界の株式市場を揺るがす真の主役
マルクス時代の資本家と現在の資本家の違い
資本家を巡るここまでの展開は、まさに私たちがイメージする「資本主義」に近いだろう。強欲な富裕層がマネーゲームで投資を行い、短期的な利益を追求し、そして市場が暴落するときに、いつも痛みを被るのはマネーゲームを始めた富裕層ではなく一般市民だ。
こんなものを野放しにしていていいはずはない。私たちは資本主義を葬り去らねばならない。このような考え方が出てきても全く不思議ではない。だからこそ、いつまでもマルクスの影がちらつくのだ。
だが、カール・マルクスが生きていた時代の資本家の像と、現在の資本家の実状は、あまりにも違う。その変化を理解しないまま、今の時代の資本主義を正しく理解することはできない。では、なにが変わったのか。それは「機関投資家」と呼ばれる存在が登場したことだ。
「他人資産」を保有する機関投資家
機関投資家とは、年金基金、保険会社、運用会社の総称のことで、大量の資金を使って株式や債券での資産運用を行う大口投資家のことをいう。機関投資家が保有している資産は、基本的には自己資産ではなく「他人資産」だ。
年金基金では年金加入者の掛金、保険会社では保険加入者の掛金がそれぞれ運用資産となっている。資産運用会社が運用している資産には、年金基金や保険会社から資産運用を一任される形で預かっている資産と、投資信託の運用の形で個人投資家から預かっている資産がある(*1)。
(*1)実際には信託分離制度により、運用会社ではなく信託会社が資産の管理を代行していることが一般的で、運用会社が資産そのものを預かっているわけではない。運用会社は資産売買の指図を行っている。
イーロン・マスク氏の資産は27兆円
機関投資家が運用している資産の規模は、個人投資家とは桁外れだ。まず個人投資家の状況からみていこう。フォーブス世界長者番付2022で、1位となったのはテスラやスペースXを創業したイーロン・マスク氏だ(*2)。
資産額は推定2190億ドル(約27兆円)。そのうちの大半は自身が創業した企業の株式なので、全てが自分の銀行口座に入っているわけではない。
第2位はアマゾン創業者ジェフ・ベゾス氏で、資産額は推定1710億ドル(約21兆300億円)。こちらもほとんどが自身が創業した企業の株式なので、アマゾンの株価が変動すれば、自身の資産額も大きく変動する。
フォーブス世界長者番付2022で上位30人の資産額の合計は312兆円。これはこれで巨額だ。
(*2)Forbes (2022)“Forbes Billionaires List 2022”
個人投資家とは運用規模が桁違い
それに対し、世界最大の年金基金は、日本の政府系年金基金「年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)」で、運用資産額は2022年6月末時点で194兆7251億円。2001年度からの累積運用収益額は101兆6787億円なので、大幅に投資リターンをあげていることがわかる。そして世界の年金基金全体の運用資産額の合計は推定53兆ドル(約7160兆円)(*3)。
保険会社で世界最大は、フランスのアクサ。2022年6月末時点の運用資産額は8440億ユーロ(約117兆円)。第2位はドイツのアリアンツ。そして世界の保険会社全体の運用資産額の合計は推定38兆ドル(約5184兆円)(*4)。
運用会社で世界最大は、アメリカのブラックロック。2022年6月末時点の運用資産額は9.5兆ドル(約1290兆円)。そして世界の運用会社全体の運用資産額の合計は推定111兆ドル(約1京5000兆円)(*5)。兆を超えて京の位に入ってしまう。
ちなみに個人投資家全体の保有資産はどういう状況かというと、100万ドル(約1.3億円)以上の金融資産(預貯金含む)を持つ富裕層が全体で93兆ドル(約1京2550兆円)。また、金融資産が10〜100万ドル(約1300万円〜1.3億円)のミドル層全体で84兆ドル(約1京1340兆円)となる(*6)。
こうしてみると、イーロン・マスク氏の27兆円は、少なくはない金額だが、全体からみるとかなり小さな割合だということがわかる。
(*3~6)PwC (2017)“Asset & Wealth Management Revolution: Embracing Exponential Change”
1920年代の株式投資ブームと世界恐慌
今でこそ大きな存在感を持っている機関投資家は、マルクスが生きていた19世紀や、世界恐慌が起きた1929年には、全くと言っていいほど存在感がなかった。そもそも幅広い国民が加盟する公的年金基金や終身型生命保険がまだなかったからだ。企業年金基金に至っては、20世紀に入ってから企業の自主的な整備が始まったが、ほとんど浸透していない状況だった。
また、一般的な投資信託の仕組みは18世紀からあったが、個人投資家向けに投資信託の仕組みが普及し始めたのは、1929年の株式大暴落の前夜にあたる1920年代。ちょうど個人投資家が株式投資ブームに乗っかっていったタイミングに該当する。
アメリカでは、ボストンに本社をおくMFSインベストメントやステート・ストリート、ウェリントンが、初のオープンエンド型投資信託の販売を開始。ドイツでも、エコノミストのヘルマン・ツィッカート博士が1923年に投資事業組合の仕組みを開発し、フランスでも投資信託の原型の商品が1920年代に登場している。
しかし、世界恐慌の打撃を受け、金融市場の中心になっていたアメリカでは、企業の有価証券発行が激減。多くの証券会社が倒産し、金融市場全体が大きく冷え込んだ(*7)。
GMが株式投資による企業年金制度を提案
証券市場は大きく信用を失墜。再建するためのテコ入れ策として、ようやくアメリカ政府が法規制を導入し、1933年に銀行法と証券法、1934年に証券取引所法、1935年に公益事業持株会社法、1939年に信託証書法、1940年に投資会社法と投資顧問法が制定された(*8)。
しかし、それでも第二次世界大戦までは、個人向けの投資商品というのは完全には開花しなかった。
だが、戦後に状況は一変する。その転機を作ったのは、アメリカの自動車大手GM(ゼネラルモーターズ)だったと言われている。当時GM社長だったチャールズ・ウィルソンは、全米自動車労組(UAW)に企業年金基金の創設を提案。しかもその提案内容が斬新だった。
以前からあった企業年金制度では、生命保険会社を通して債券投資で運用することが一般的だった。しかしウィルソンは、今後飛躍的に年金支払額が拡大することを見越し、債券投資ではなく株式投資での運用スタイルを主張した。これが1950年代にアメリカで企業年金制度が普及していく嚆矢こうしとなった(*9)。
(*7、8)佐藤卓雄(2016)“証券市場の歴史”『図説アメリカの証券市場2016年版』日本証券経済研究所
(*9)小野正昭“米国の確定給付年金の課題〜健全性の観点から〜”第5回年金積立金運用フォーラム資料
アメリカからヨーロッパへと浸透
GMが株式運用を主体とした企業年金基金を創設したタイミングは、まさにアメリカで株価が上がっていくタイミングだった。GMの企業年金基金が成功しているという話を聞きつけた他の企業も、同様の企業年金基金の創設に動いた(*10)。
アメリカでは州政府や地方政府の公務員が加盟する公務員年金基金も1930年代に設立されているが、当初は債券での運用しか認められていなかった。しかし戦後に入り、株式投資を認める動きが広がる。例えば、全米最大の公務員年金基金であるカリフォルニア州のカルパースは、1968年に運用資産の25%を上限に株式での投資運用を容認。そして1984年に25%の上限をも撤廃している。
戦後、ヨーロッパも同じ路線をたどった。例えばイギリスでは、世界恐慌後の1920年代に職域年金保険(業界毎の年金基金)制度が誕生し、浸透していく。職域年金の加入率は1933年には13%だったが、1956年には33%に、1960年代には40%を超えた(*11)。
公的年金制度は、1946年に国民保険法が成立し、イギリス国内に居住する全ての人を対象に、最低限の給付を行う制度として創設された。ドイツやフランスでも基本的には同じような流れとなった。
日本では1950年代に企業年金制度が普及
日本でも同じだ。日本で義務的公的年金制度が導入されたのは、戦時下の1937年に成立した「退職積立金制度及び退職手当法」が最初だった。50人以上の従業員を有する事業者が対象となった。
企業年金では、GMの成功事例を知った十條製紙(当時)や三菱電機が1952年に企業年金制度を創設。まだ税制優遇がない時代だったが、1950年代には日本でも企業年金制度が広がりをみせた。
1957年には、倒産隔離(企業が倒産しても、保有している資産に影響を与えないようにすること)のため信託銀行で年金資金を積み立てる外部積立方式を、興国人絹パルプ(当時)や品川白煉瓦が(当時)が開始。こうして健全な企業年金の仕組みが主体的に考案されていった。1960年時点で企業年金制度を設けた企業は210社もあったという(*12)。
そして戦後の先進国では、公的年金や企業年金だけでなく、個人毎の年金制度も政府主導で作られていった。背景には政府財政において社会保障予算負担が増していく中、少しでも個々人での年金資産形成を促したいという事情があった。企業年金側でも、企業年金基金自身が資産運用をする確定給付(DB)型から、個々人の責任で運用方法を選択する確定拠出(DC)型に移ってきている。
(*10)GMは2009年に一度経営破綻しているが、その主要因の1つが、このときに締結した企業年金の支払負担だったことはよく知られている。
(*11)斉藤美彦(1997)“イギリス年金制度の歴史的展開と近年の改革の流れ”海外社会保障情報119号
(*12)山口修(2018)“企業年金制度の沿革、現状と今後の展望”横浜経営研究38巻第3・4号
機関投資家が株式市場のメインプレイヤーに
こうした年金基金の確立は、社会の在り方を大きく変えることとなった。具体的には、「投資家」の構造が大きく変化した。
上場株式全体の株主比率は1955年には非機関投資家が72.8%、機関投資家は20.8%だった。それが1980年には非機関投資家が59.7%、機関投資家が30.7%と差が大幅に縮まる。その間、発行済株式残高は全体で約5倍にも伸びた。
それに対し、企業年金基金の保有額は、わずか25年間で60億ドルから1758億ドルへと30倍にもなった。公務員年金基金も個人型年金基金も保有額を大幅に増やしていった。
今日、年金基金が株式で投資運用をしていると聞くと、「私たちの大事な年金資産が、金融市場という危険なところで運用されている。なんたることか」という反応をする人もいる。しかし、2019年の時点で、世界の上場株式市場全体に占める機関投資家の株式保有比率はすでに41%にもなっている。米国上場株式市場だけに限ってみれば、なんと72%だ(*13)。
もはや、株式市場は「怪しい人たちのマネーゲームのための市場」ではなく、むしろ機関投資家自身がメインプレイヤーの地位にある。
「労働者一人ひとりが投資家」という時代
あらためて機関投資家とは誰のことか。年金基金や保険会社、運用会社は、自分の資金で投資運用を行っているのではない。顧客から委託されて投資運用を代行しているだけだ。では誰が顧客なのかというと、年金加入者であり、保険加入者であり、投資信託の購入者だ。
それらは、言うなれば一般市民だ。そして、年金基金の創設を切望したのは当の労働者自身だった。
さて、そろそろ私たちは、マルクス主義の「資本家」の概念から決別しなければいけないときがきている。マルクス主義が想定していた人格としての「資本家」は、実質的にかなりの少数派になっている。
今や資本家とは、強欲で搾取してくる、あの遠い存在の企業経営者や富裕層ではない。労働者一人ひとりが投資家なのだ。私たちは、気づかない間に、資本主義社会の投資家側の役割を担うようになっている。
企業の支配関係でも同じだ。グローバル企業が見えない力で私たちを支配しているのではない。私たち一人ひとりが投資家としてグローバル企業を支配しているのだ。
(*13)OECD (2019)“Owners of the World’s Listed Companies”